ブログも讀書のうち

ショウペンハウエルは、常を多讀に費やす者は、自分の頭で考へる力を失くす、と言つてゐたけれど、彼の說いた讀書とは、これ、短文を始めとした文字の刺戟を指すのだと知つた。つまりブログやら動畫上に流れてくるコメントやら、そんなつまらない意思疎通にも、我々の注意力は費やされてゐるのだ、と。これは書くものもをかしくなるのは頷ける。常、頭が煩雜なのも頷ける。……さう、總てが攝取物だつたのだ、と氣附いたのだ、私は。ウェブの擡頭で文字への接觸は增えたのだらう。しかし、それと賢明さは別の話だ。考へなければ――休まらなければ、何にもならない。

近年、私の行動が行き當りばつたりだつたのも、方針が一貫しないのも、餘りに消化が進まなかつたせゐだと言へる。私は自分の頭で考へなかつたのだ、何も。他人の文章を寫し取つて、考へてゐた氣でゐた、それだけ。弱氣が續いたのも道理と言へる。私自身は、何も確信してゐないのであるから。

樂をするつもりで考へる事から逃げ續け、しかし使命感も安らぎも手放してしまつた、自ら。