誰かにとつての便利

寢ながらPCの操作ができる裝置を發明した、といふニュースが載つてをり、私は下らないと判斷して、少し心に殘りつつも健康な人間の贅澤な惱みだ、と見逃した。しかしながら後で考へてみると――それつて、例へば寢たきりの人とかにとつてみれば、夢のやうな話だよな、と。私ら健康な人間にとつてみれば過ぎた話ではあるが、身體が不自由な者にとつてみれば、夢のやうな話。ああ、發想も、活かし方次第、見る者次第だな、と思つた。……かうして私は今氣附いたが、きつとこれまでにも下らないと切捨ててきたアイディアの中にも、特定の人を救ふであらうアイディアもあつたのだらうな、と思ふと悲しくもつたいないと感じる。かういふ時にこそ擴がれと、必要としてゐる人々に屆けばと、思ふのだが、それが中々傳はらない。埋まつてゐる。

必要な人々に屆ける事ですら難しく、それ以前に、誰が必要としてゐるかさへ分らないアイディア――寂しい。リンクせよ、繫がれよ。